付近の観光・施設 久留里城 車12分 時間表記はGoogleMapによります。
実際は交通状況によりもう少しかかると思います。
D A T A
住 所  君津市久留里字内山
電 話  0439-27-3478
駐車場  130台:駐車無料
営 業  9時〜16時30分
休 館  月曜(月曜が祝日の場合は開館し火曜休み)
※時間など変更になっていることがあります。
室町時代に築かれたとされる久留里城。雨城という別名もあり霧が多く守りに適していたとも。規模小さめ、城主は転々としたためマイナーな感もありますが上総掘りの井戸などの資料を展示する資料館と復元された天守閣があり歴史を学ぶこともできます。
歴代城主から個人的に気になる人をご紹介すると、【武田信長】上総武田氏の祖、久留里城を最初に築城したと言われる。この名前! 【里見義堯】南総里見八犬伝で有名な里見義実の子孫、五代目当主。この山城を改修・本拠として北条氏と戦い全盛期を築きました。薬師曲輪から見下ろして北条軍2万を想像してみてください。天守に向かう際の左右の切り立った尾根も、建物はなくとも山城というものを実感させてくれます。 【土屋忠直】江戸時代・久留里藩の初代藩主。レイリという信玄死後の武田家を舞台とした漫画がありまして、格好いい役どころの土屋昌恒惣三の息子が忠直です。昌恒は最後まで勝頼に従いしんがりを務め、崖道で蔓を片手につかんだまま織田軍と戦い勝頼自害の時間を稼ぎます。斬られた者たちの血は三日にわたり川を朱に染め「片手千人斬り」の異名をとりました。信長からも賞賛を受け、その後、息子は家康に拝謁を賜り側室・阿茶局の養育するところとなり、後に久留里の藩主になるのでした。
資料館そばの薬師曲輪、北条氏との古戦場が一望できます。戦いの経緯を書いた石碑や、当時の城郭の様子に従った説明書きがあり、戦場を見渡す地形とはこういうものかと実感できます。
コロナで閉館中です。
久留里ゆかりの有名人・新井白石の銅像。生類憐れみの令で有名な五代将軍綱吉の後、六代七代将軍に仕え、無役の旗本でありながら、幕政の中心にあって正徳の治と呼ばれる改革を主導しました。吉宗が八代将軍に就くと失脚します。お父さんが久留里藩の目付だったため青年期まで久留里と縁がありました。
資料館横にある上総掘りの井戸を掘る櫓です。明治の中頃に君津で考案され、井戸や温泉、石油を掘る方法として世界に広がった上総掘りの資料があります。千葉の北の方が下総、その下が上総、南が安房。地図では上総が下にあるのですが、七世紀には海路が中心で、都から近い方が上総となったとか。
久留里城は山城です。久留里街道から車で少し登って駐車場ですが、そこから歩いて登ります。資料館までの道は舗装されていますが、急な上りなので車椅子を押して上がるのは危険です。その先は舗装されていません。
男井戸・女井戸、二つが隣あっています。さすが名水の里、山の上ですが井戸があります。北条との戦いの中でもこの井戸のおかげで籠城に耐えられたとの記載がありますね。
江戸時代、土屋氏から黒田氏に藩主が移り、黒田直純が城を再整備された際に築いたとされる天守の跡地。二階建てだったようですね。
大戸見の家 所在地
貸別荘・大戸見の家の所在地は、千葉県君津市大戸見旧名殿261、グーグルマップで見ると瑜伽宗天竜寺門跡院と表示される寺の奥にあたります。久留里の街から久留里街道を鴨川方面に車で10分ほど。最寄り駅はJR久留里線の上総松丘駅です。